まいにち

ただの日記

偲ぶ会

昨年11月12日に逝去された、翻訳家の天野健太郎さんを偲ぶ会に参加してきました。

 

場所は台湾文化センターで、

参加者は主に、天野先生とお仕事をされてきた翻訳家仲間の方々、出版関係や書店の方々、交流のあった作家の方々に加えて、先生の活動を心待ちにしていた私のような一般のファンの方々です。先生のご家族も愛知県からいらっしゃっていました。

 

これまでの功績が紹介された後、交流のあった翻訳家や作家の方々が、先生とのエピソードを話してくださったのですが、

アジア文学や中華文学としてではなく、「台湾文学」をひとつの文学ジャンルとして日本で確立していくことの苦労や苦悩、翻訳の難しさを改めて感じました。

 

天野先生はどこかに所属して研究しながらの翻訳、というわけではなかったそう。ひとりで作家さんにアポを取って一作の本を翻訳して出版社を通して世に出すまで、どれほどの時間と労力を費やしたのだろう。

加えて、台湾や台湾文化・文学に関わるイベント等の積極的な活動もご自身で行われています。台湾の本をみてもらいたい、台湾や台湾文学について多くの人に知ってもらいたいという果てしない戦いを、天野先生は孤独に地道に続けられていたようです。

 

中国大陸の本の翻訳をされている泉京鹿先生のお話の中で、翻訳って本当に大変なお仕事だね、とよく愚痴を言い合っていたけれど、天野先生から「幸い翻訳をしている時間は辛いことを忘れられます。(私の覚えているニュアンスですので、天野先生が送られたそのままの言葉ではないかもしれません)」とメールが来たこともある。とお話がありました。

 

聞いているだけでも果てしなく、また辛く感じる翻訳のお仕事だけど、台湾や台湾文学が好きで、自分が訳すということに使命と責任を持ってお仕事されていたんだなぁ...。本当に胸が詰まる思いです。

 

皆さんのお話の中で共通して出てきたのは、天野先生の明るく陽気なお人柄。人なつこくて、人と人とを繋ぐ能力に、本当に長けていらっしゃったそうです。そしてなにより、語学の習得と翻訳というお仕事に対して、相当な努力をされてきたということ。

 

天野先生に通訳を担当していただいたという川本三郎先生は、天野先生がいなければ自分は台湾との交流はなかったとおっしゃっており、

また、島田荘司先生はある時、そこまでの語学力をどのように身に付けたのかと問いたところ、「台湾が楽しくて夜な夜な友人たちと飲んでいるうちに、気づいたら中国語が身についた」というようなことを答えられたそうなのですが、実はものすごい努力があったと、自分にはそういう姿は全く見せなかったと話されていました。

 

とても謙虚で、誰からも愛されるお人柄だったんだなぁ。最後のお父様のお話もとても切ない。優しいおばあちゃんっ子だったそうです。俳句を聞けたのも嬉しかった。

 

私はなんの関係もないただのファンですが、今日参加させていただけて本当に感謝です。天野先生の残してくれた日台の繋がり、気づかせていただいた台湾への興味を大切にして、私も台湾中国語の勉強頑張ります。

ありがとうございました!!!

 

おわり